ヨルシカ&ボカロはかく語りき   歌詞とMVを徹底考察!

ヨルシカやボカロの曲の歌詞やMVの考察を通して、その曲の真髄に迫る…!!

【ヨルシカのアルバムが一目でわかる】ヨルシカについて1から10まで!

今や若者を中心に絶大な人気を得ている音楽ユニット「ヨルシカ」

ヨルシカのコンポーザーであるn-bunaさんが創り出したアルバムを総整理しました。

それぞれのアルバムについて基礎知識とその魅力をまとめていきます!

 

アルバムの数は6つ!

まず、ヨルシカは2つのミニアルバムを出しています。

    『夏草が邪魔をする』『負け犬にアンコールはいらない』

ですね。さらに、3つのフルアルバムを出しています。

      『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』『盗作

そして今年出た初のEP(アルバムみたいなもの)

               創作

です。厳密にはこれらは収録曲の数や長さによって区別されるのですが、ここでは一括りに「アルバム」として扱います。

アルバムをまとめた図が次の通りです。

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ヨルシカの楽曲総整理!

※薄字はインストゥルメンタル楽曲。

早速、各アルバムについて見ていきましょう!

『夏草が邪魔をする』

ヨルシカ最初のミニアルバム。収録曲は以下の通り。

1. 『夏陰、ピアノを弾く』

2. 『カトレア』

3. 『言って。』

4. 『あの夏に咲け

5. 『飛行』

6. 『靴の花火』

7. 『雲と幽霊』

『夏草が邪魔をする』のコンセプト

          切ない夏の空気感や透明感

をアルバム全体で謳っています。

どの曲にも夏をテーマにしていますが、注目すべきは『言って。』『雲と幽霊』の関係です。

『言って。』の歌詞をみると

「あのね、私実はわかっているの

 もう君が逝ったこと」

もう届かないことはわかっていても、それでも"私"は"君"に

空が青いことをどうやって伝えればいいのか、

夜の雲が高いことをどうすれば君に教えられるだろうと歌い続けます。

タイトルの「言って。」とは「ちゃんと言ってくれないとあなたがいないことを理解できない」という意味なんですね。

でも、返事がくるはずもなく。

いつまでも"私"の中では完結しません。

そして『雲の幽霊』

「幽霊になった僕は、明日遠くの君を見に行くんだ」

「夜の雲が高いこと、本当不思議だよ」

「何も知らなくたって 何も聞けなくたって

 いつか君が忘れても それでも見ているから」

見事にアンサーソングになっています。

"僕"が居ない世界で"君"は延々と届かない声を上げている。

そんな"君"の姿を、"僕"は幽霊になってずっと見ている。

そして

「だからさ、だからさ

 君もさ、もういいんだよ」

でも"君"が求めている"僕"の返事は絶対に届かない。

形容のし難い切なさに心が締め付けられます。

ここでアルバム『夏草が邪魔をする』に立ち返ってみます。

夏草は何を邪魔するのでしょうか。

 

『負け犬にアンコールはいらない』

2ndミニアルバム。収録曲は以下の通り。

1. 『前世』

2. 『負け犬にアンコールはいらない』

3. 『爆弾魔』

4. 『ヒッチコック

5. 『落下』

6. 『準透明少年』

7. 『ただ君に晴れ』

8. 『冬眠』

9. 『夏、バス停、君を待つ』

『負け犬にアンコールはいらない』のコンセプト

               変化の中の不変

を謳っています。

本アルバムの全体像は、前アルバム『夏草が邪魔をする』の『言って。』や『雲の幽霊』に出てきた男女の物語の地続きになっています。

『準透明少年』では目が見えない少年、

『爆弾魔』では全てを爆破したいと願う者、

そして『ヒッチコック』では、何度も先生に「なんでなんでしょうか」と問いかける人。

youtu.be

このような様々な人生を経験し、今の自分に至る。

そんな死生観が描かれています。

そして、何度も繰り返される「生まれ変わり」は、タイトルの「アンコール」と言い換えられます。

興味深いのはここまでだけではありません。

アルバム中のアルバム中の曲が輪廻転生をテーマとしているのに、それを「いらない」と真っ向から否定するアルバム名。

n-bunaさんの皮肉が混じった遊び心が表れています。

 

また、随所で文学作品のオマージュが見られるのもポイントです。

タイトルの「負け犬」は大正の俳人・岸田稚魚の句集『負け犬』が元になっています。

『爆弾魔』の

青春の全部に散れば咲け 散れば咲けよ百日紅

という歌詞は、江戸時代の歌人・加賀千代女の俳句

散れば咲き散れば咲きして百日紅

のオマージュになっています。

ちなみに百日紅(サルスベリ)は夏の季語であり、その花言葉

    「雄弁」「愛嬌」「あなたを信じる」

です。

さらに大ヒット曲『ただ君に晴れ』の歌詞

絶えず君のいこふ 記憶に夏の石一つ

は、明治時代の俳人正岡子規の俳句

絶えず人いこふ夏野の石一つ

からもじっています。

『ただ君に晴れ』については以下のページで徹底的に掘り下げています。

sakasuproject.hatenablog.jp

『だから僕は音楽を辞めた』

1stフルアルバム。収録曲は以下の通り。

1.  『8/31』

2.  『藍二乗』

3.  『八月、某、月明かり』

4.  『詩書きとコーヒー』

5.  『7/13』

6.  『踊ろうぜ』

7.  『六月は雨上がりの街を書く』

8.  『五月は花緑青の窓辺から』

9.『夜紛い』

10.『5/6』

11. 『パレード』

12. 『エルマ』

13. 『4/10』

14. 『だから僕は音楽を辞めた』

『だから僕は音楽を辞めた』のコンセプト

 音楽を辞めた青年・エイミーが、思い人である女性・エルマに向けて歌う物語

来ました。

ヨルシカ好きなら知っておきたい登場人物「エイミー」と「エルマ」。

 

上がエイミーで、

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下がエルマです。

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『だから僕は音楽を辞めた』は、前述の通りエイミーがエルマに向けて歌った曲が多く収録されています。

例えば『藍二乗』。

"藍"は虚数単位の"i"ですね。

二つのiの掛け算は i × i = -1 となるのですが、これは"エルマ"がいなくて"エイミー"がただ一人でいることを表しています。

そして

人生は妥協の連続なんだ
そんなこと疾うにわかってたんだ

エルマ、君なんだよ
君だけが僕の音楽なんだ

この詩はあと八十字
人生の価値は、終わり方だろうから

とエルマはエイミーにとって音楽であったと告白しています。

そして注目したいのが「日付の曲」ですね。

収録曲の順に『8/31』→『7/13』→『5/6』→『4/10』となっています。

時が逆行しています。

遡って考えてみると、

『だから僕は音楽を辞めた』からは、エイミーにとって"音楽であったエルマ"と別れる決断をしたことから物語が始まっていることがわかります。

何故か?

僕だって信念があった
今じゃ塵みたいな想いだ


何度だって君を書いた

売れることこそがどうでもよかったんだ

本当だ 本当なんだ
昔はそうだった

だから僕は音楽を辞めた

詳しい考察は更に『パレード』を読み解く必要が出てきます...!

『エルマ』

2ndフルアルバム。収録曲は以下の通り。

1.  『車窓』

2.  『憂一乗』

3.  『夕凪、某、花惑い』

4.  『雨とカプチーノ

5.  『湖の街』

6.  『神様のダンス』

7.  『雨晴るる』

8.  『歩く』

9.  『心に穴が空いた』

10.『森の教会』

11. 『声』

12. 『エイミー』

13. 『海底、月明かり』

14. 『ノーチラス』

『エルマ』のコンセプト

まず上の収録曲にどことなく見覚えはありませんか。

前アルバム『だから僕は音楽を辞めた』と比較してみましょう。

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曲を聴かずとも対応関係があることが明確です。

このことから、『エルマ』は『だから僕は音楽を辞めた』のアンサーアルバムだといえます。

まるで『雲と幽霊』と『言って。』のような関係性がありますね。

ここで焦点が当たられる少女「エルマ」は、「エイミー」という青年を模倣することでしか人生の生き方を決められないのです。

この背景には、n-bunaさんがオスカー・ワイルドの言葉「人生は芸術を模倣する」に影響を受けているということがあります。

そのため、エルマはエイミーが訪れたスウェーデンを辿り、エイミーのようにその町のどこかで音楽を書く、と。

そこまでエイミーに依存していました。

曲に注目すれば、

『憂一乗』はエイミーの『藍二乗』に対するアンサーソングですね。

「憂一乗 → You一乗 → エイミーだけ」

こういった意味が含まれています。

そしてエイミーの旅路は『ノーチラス』で終わりを告げることになります。

エルマは遂にエイミーが花緑青を飲み自ら死を選んだことを知りました。

花緑青は猛毒。

その終焉にこそ描かれる儚くも美しい人生に幕を下した。

そしてエルマに託した最後の曲が『ノーチラス』。

エイミーの眠りとともに、エルマの眼が覚める。

終わりと始まりが共演する二人の物語の最終曲でした。

 

『盗作』

3rdフルアルバム。収録曲は以下の通り。

1.  『音楽泥棒の自白』

2.  『昼鳶』

3.  『晴ひさぎ』

4.  『爆弾魔』

5.  『青年期、空き巣』

6.  『レプリカント

7.  『花人局』

8.  『朱夏期、音楽泥棒』

9.  『盗作』

10. 『思想犯』

11. 『逃亡』

12. 『幼年期、思い出の中』

13. 『夜行』

14. 『花に亡霊』 

『盗作』のコンセプト

 「作品の[情報]に関心がいきがちな世の中へのアンチテーゼ」

簡潔にまとめればこうでしょうか。

MVを見れば明らかですが、ある"男"の物語を主軸に構成されています。

この男の人生は、"音楽を盗作すること"で成り立っているものでした。

これにはn-bunaさんの「破壊衝動」も関連してきます。

今までのヨルシカは"思い出の中に存在する綺麗な夏"をきれいに纏め上げるスタイルだったのですが、

『盗作』は一変してその自らのスタンスすらも破壊するかのようなタイトルです。

確かに曲の一覧にも売春を想像させる『春ひさぎ』や空き巣の隠語である『昼鳶』など、

それまでの清潔感に惹かれたヨルシカファンからしたら、

ちょっと眉を顰めるような曲が多くあります。

これもn-bunaさんの「破滅願望」で意図的に構築されたアルバムです。

世間に魂を売って大衆受けする曲を作るスタイルへの反発ですね。

彼の世界観の創造に重きを置いてるからこその、異色のアルバムといえるでしょう。

それまでのアルバムと一線を画す形であることは『盗作』や、彼のお気に入りである『思想犯』を聴けば明らかですね。

www.youtube.com

最後にn-bunaさんのメッセージで締めようと思います。

俺は泥棒である。

往古来今、多様な泥棒が居るが、俺は奴等とは少し違う。

金を盗む訳では無い。骨董品宝石その他価値ある美術の類にも、とんと興味が無い。

俺は、音を盗む泥棒である。

 

思想犯というテーマは、ジョージ・オーウェルの小説「1984」からの盗用である。そして盗用であると公言したこの瞬間、盗用はオマージュに姿を変える。東洋とオマージュの境界線は曖昧に在るようで、実は何処にも存在しない。逆もまた然りである。オマージュは全て盗用になり得る危うさを持つ。

この楽曲の詩は尾崎放哉の俳句と、その晩年をオマージュしている。

それは、きっと盗用ともいえる。

                     Youtube概要欄より引用

『創作』

ヨルシカ初のEP。収録曲は以下の通り。

1. 『強盗と花束』

2. 『春泥棒』

3. 『創作』

4. 『風を食む

5. 『嘘月』

『創作』のコンセプト

 前回のフルアルバム『盗作』の半年後にリリースされました。

その名前からわかる通り、『盗作』の対称的なアルバムといえます。

ですが、人類が重ねてきた長大な時間、文化的歴史を考えてみると、

「創作」とされるものも、どうしてもどこかで誰かが作ったものに類似してしまいます。

従って、

「創作」は結局「盗作」の延長線上に有るものに過ぎない

といえます。

そのために、『盗作』の後に『創作』が来ているのでしょう。

両者の違いは、「故意の有無」でしかないと。

「創作」と聞くと聞こえは良いが、本質的なところでは「盗作」と何ら変わらないという主張があると思います。

実際に、『創作』は依然として「盗む」ことや「奪う」ことに焦点があてられた曲が収録されています。

『強盗と花束』では、

「道端の花を摘んで死にゆく妻に贈ること」と「店先の花を奪って彼女に贈ること」の違いは何か、と。

両者は"大切な人に贈る"という思いは一致し、ただ"法律触れるか"だけが違う。

『春泥棒』では『盗作』の主人公であり盗作家の男から見た妻を、桜に喩えています。

散りゆく桜、無情にも流れ去る時。そして、春仕舞い。

詳しい考察はこちら。

最後は、n-bunaさんの持論で締めたいと思います。

作品の価値は作った人に依存しないし、

作品の本質的な美しさはそれがどう作られたかには関係しない。

                           n-buna

『盗作』と『創作』はn-bunaさんのこの一貫した主張の下に作られている、そんなアルバムでした。