ヨルシカ&ボカロはかく語りき   歌詞とMVを徹底考察!

ヨルシカやボカロの曲の歌詞やMVの考察を通して、その曲の真髄に迫る…!!

【ヨルシカ - 『老人と海』】MV&歌詞考察第二弾! 老人が見た夢とは。

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歌詞考察第二弾は【ヨルシカ】の『老人と海』...!

www.youtube.com

【かの有名な『老人と海』】

 


今回歌詞考察を行っていく老人と海は、2021年8月18日に「STAFF START」のCMソングとしてリリースされました。

8月16日よりテレビオンエアがスタートしています。

 

そして、そのタイトルからわかるように、文学作品がモチーフとなっています。

最近配信された文学作品を題材にした曲としては、『又三郎』が挙げられますね。

みなさんご存じの文豪、アーネスト・ヘミングウェイによる『老人と海』をオマージュとした本楽曲には、どんなメッセージが込められているのでしょうか。

~穏やかな休日に二人は海への道を歩きながら、遠く海の向こう、アフリカの砂浜を夢想する~

<ヨルシカ – デジタルシングル『老人と海』特設サイト>によると、上のようなキャプションが。

それでは、まずはヘミングウェイの『老人と海』にスポットライトを当てながら、歌詞考察に入っていきます!

【短編小説『老人と海』】

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https://qr.paps.jp/Hz9qF

老人と海』(The Old Man and the Sea) は米作家アーネスト・ヘミングウェイによる短編小説です。

戦後すぐの1952年に出版され、1954年のヘミングウェイノーベル文学賞受賞に寄与した誰もが知る世界的なベストセラー作品。

簡単なあらすじは次の通りです。

 

「キューバに住む老人サンチャゴは、漁師である。助手の少年と漁をしていたが、不漁が続く老人との付き合いを少年の母親は快く思っていなかった。

あるとき一人で沖に出た老人の針に、巨大なカジキが食いついた。

老人は、獲物が弱るのを忍耐強く待ちながら、むかし船員だった若い頃にアフリカの岸辺で見たライオンの群れのこと、力自慢の黒人と演じた一晩がかりの腕相撲勝負のことなど、過ぎた昔のことをとりとめもなく思い出す。

3日にわたる孤独な死闘ののち、老人はカジキを仕留めるが、今度はカジキの血の匂いを嗅ぎつけたサメの群れと、老人は必死に闘う。

老人は抵抗もむなしくカジキの体は次第に喰いちぎられていくばかり。

望みのない戦いを繰り返しながら老人は考える。

人間は殺されることはある、しかし、敗北するようにはできていないのだと。

ようやく漁港にたどりついたとき、仕留めたカジキは鮫に食い尽くされ、残るは巨大な骸骨のみ。

老人は眠りにつき、ライオンの夢を見ていた。」

 

あれ?老人は苦労して漁行ったけど結局何も得られずに帰ってきただけじゃないか?

そう思った方がいるかもしれません。

しかし、ここでくみ取れるのは、「壮絶な戦いの中で生き続けた男のニヒリズムではないでしょうか。

歌詞考察の上で押さえておきたいポイントは

  ・老人とその助手の少年がいた

  ・老人はライオンの夢を見ていた

この二点です。

 

より詳細が気になる方は青空文庫中田敦彦Youtube大学なんかがおすすめです。

  ・青空文庫<アーネスト・ヘミングウェイ Ernest Hemingway 石波杏訳 Kyo Ishinami

   老人と海 THE OLD MAN AND THE SEA>

  ・【老人と海①】ノーベル文学賞作家ヘミングウェイ晩年の傑作

   https://www.youtube.com/watch?v=N-JonAWkOKo

 

ここまで小説について事前知識を仕入れたうえで、歌詞・MV考察に入っていきましょう!

【歌詞】

靴紐が解けてる 木漏れ日は足を舐む
息を吸う音だけ聞こえてる
貴方は今立ち上がる 古びた椅子の上から
柔らかい麻の匂いがする


遥か遠くへ まだ遠くへ
僕らは身体も脱ぎ去って
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
風に乗って
僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ


靴紐が解けてる 蛇みたいに跳ね遊ぶ
貴方の靴が気になる
僕らは今歩き出す 潮風は肌を舐む
手を引かれるままの道


さぁまだ遠くへ まだ遠くへ
僕らはただの風になって
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
風に乗って 僕ら想像力という縛りを抜け出して
まだ遠くへ まだ遠くへ 海の方へ


靴紐が解けてる 僕はついにしゃがみ込む
鳥の鳴く声だけ聞こえてる
肩をそっと叩かれてようやく僕は気が付く
海がもう目の先にある


あぁまだ遠くへ まだ遠くへ
僕らは心だけになって
まだ遠くへ 海も越えてまだ向こうへ
風に乗って 僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ


僕らは今靴を脱ぐ さざなみは足を舐む
貴方の眼は遠くを見る
ライオンが戯れるアフリカの砂浜は
海のずっと向こうにある

        


                                        作詞: n-buna

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歌詞から作成したワードクラウド

【歌詞・MVの意味と解釈】

【1番】

靴紐が解けてる 木漏れ日は足を舐む
息を吸う音だけ聞こえてる
貴方は今立ち上がる 古びた椅子の上から
柔らかい麻の匂いがする

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「木漏れ日は足を舐む」...足に木漏れ日が柔らかく足全体に当たっていることを表現していますが、、注目したいのは「舐む」。これは古典単語で

なむむ、む】

  1. 舌の先で物を触れる。舌の上でとかす。
  2. 酒などを少量ずつ飲む。
  3. 経験する。
  4. 余すことなく及ぶ。
  5. あなどる(「無礼(なめ)」の動詞化)

なむ - ウィクショナリー日本語版より引用

 という意味があります。ここでは文脈から4の「余すことなく及ぶ」が相当しますね。n-bunaさんの古典文学や文語表現への造詣の深さが伺えます...!

なんて美しいんだ、日本語。

 

そして、「貴方は今立ち上がる」の「貴方」は誰を指すのでしょうか。

小説の通り登場人物が老人とその助手の少年であり、タイトルが『老人と海』であることから、

「貴方」「少年から見た老人」と考えるのが妥当ですね。

この視点で進んでいくことを前提にしてさらに考えていきます。

【サビ1】

遥か遠くへ まだ遠くへ
僕らは身体も脱ぎ去って
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
風に乗って
僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ 

 

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どこまでも、どこまでも海を目指しココロ踊る「僕ら」。

原作のカジキやアオザメとの死闘で海に出たときは、老人一人だけで少年はいませんでした。

でもここで「僕ら」と表現しているのは、あくまで原作をオマージュした楽曲だからなのでしょうか。

とすると先ほど「貴方」が「少年から見た老人」、「僕」は「少年」で「僕の想像力」とは「少年の想像力」となります。

実は没考察(一瞬閃いた!となったものです)*1もあるので、是非()

海の経験が浅い少年は、海の姿を「自分の想像力」という限りある枠組み以上に思い描くことはできない。

これは「老人の知っている海」よりも浅いものであるから、「自分の想像力」を「重力」と表現しているのでしょう。

もっと先に広がる想像を超越した海を求めて。

【2番】

靴紐が解けてる 蛇みたいに跳ね遊ぶ
貴方の靴が気になる
僕らは今歩き出す 潮風は肌を舐む
手を引かれるままの道 

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 「靴」がキーワードですね。

蛇のように自由に振る舞う老人の靴紐。

靴紐は無論結ぶことで靴が本来の機能を果たせるようにするわけですが...

この老人の自由な靴紐は、一般に体裁を保たなければならない俗世からの逸脱の象徴ではないでしょうか。

そんな飄々とした老人の生きざまを体現した靴紐が、どうしても少年は気になってしまうのです。

 

いよいよ二人は歩みを進めます。

【サビ2】

さぁまだ遠くへ まだ遠くへ
僕らはただの風になって
まだ遠くへ 雲も越えてまだ向こうへ
風に乗って 僕ら想像力という縛りを抜け出して
まだ遠くへ まだ遠くへ 海の方へ

【サビ1】と同じく躍動感あるリズムですね。

変更点としては、【サビ1】では「僕の想像力という重力の向こうへ」であったのが、今回では「僕ら想像力という縛りを抜け出して」となっています。

「少年」一人の視点から、「老人」も含めた視点になっていますね。

スケールが大きくなってきました...!

【3番】

靴紐が解けてる 僕はついにしゃがみ込む
鳥の鳴く声だけ聞こえてる
肩をそっと叩かれてようやく僕は気が付く
海がもう目の先にある

老人の解けた靴紐が気になってついに触れてしまった少年。

鳥の鳴き声や海が目前にあることに気づかないままです。

そんな少年の肩をそっとたたいて気づかせる老人。

ある種の固定観念や俗世の規則でつい視野が狭くなることはあるかもしれない。

でも老人は一切囚われない。

何故なら、もっと広大で自由な海と戦ってきたから。

きっと、「世の中」というものに縛られすぎな私たちに向けた「自由に生きろ」というメッセージなのかもしれません。

 

【サビ3】

あぁまだ遠くへ まだ遠くへ
僕らは心だけになって
まだ遠くへ 海も越えてまだ向こうへ
風に乗って 僕の想像力という重力の向こうへ
まだ遠くへ まだ遠くへ
海の方へ

Sunrise Birds - Aquabumps

注目は入りの「あぁ」。

suisさんの吐息が混じった感嘆ともとれるハイトーンボイス。

一瞬歌が止まり、耳にそよぐはさざ波の音。

ついに、ついに海に到着しました。

歌詞の方は【サビ1】に原点回帰したような感じですね。

ですが「僕ら」は「身体を脱ぎさって」→「ただの風になって」→「心だけになって」

どんどん身軽になっていきます

さらには目標としていた「海」すらも越えて行こうとしています。

二人は留まることを知らず歩み続ける。

どこまでも、どこまでも。

 

僕らは今靴を脱ぐ さざなみは足を舐む
貴方の眼は遠くを見る
ライオンが戯れるアフリカの砂浜は
海のずっと向こうにある

靴を脱いで、すべてのしがらみから解放されました。

遠い目をした老人が夢見るは、誇り高き百獣の王、ライオン。

原作でもラストは「老人はライオンの夢を見ていた。」で締めくくられます。

漁が惨憺たる結果でも、それでも海で生きることを辞さなかった老人。

ライオンは、海での壮絶な戦いを生き抜いてきた一人の男の理想像なのかもしれません。

 

世間に縛られず、自分の尺度で自分の人生を全うすることの偉大さ。

目前にはない遥か先にある可能性。

 

老人が少年に背中で語ったのは、そういったことだったのでしょう。

そしてそれを、時代を超えて普遍的に私たちにも伝える。

そんな一曲でした。

*1:

「貴方」が「少年から見た老人」、「僕」は「少年」で「僕の想像力」とは「少年の想像力」。

確かにこういった解釈も可能ですが、個人的には

何故<少年>の想像力に注目するのか。<老人>でないのか」

といった疑問が生じます。

そこで、あくまで原作に忠実に考えると、そもそも「僕」は「老人」を意味しているのではないかと。

すると「僕ら」は「老人と海で合点がいくわけです。

人生の大半を共に過ごした海と老人は一心同体であるかのような関係性が読み取れます。

では前述の「貴方は今立ち上がる」の「貴方」とは?となるのですが、

これは「海から見た老人」と解釈することができます。

...と言いたかったのですが、歌詞を見る限り海に入らずに終了しているので、やはり人間として実態を持った「老人と少年」が「僕ら」に相当すると考えた方が自然でした。